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日刊工業 不撓不屈③ 10月1日掲載されました

日刊工業 不撓不屈③ 10月1日掲載されました。

自社ブランドの販路拡大
大手メーカーと取引開始」
「営業を意識」
 業容の拡大を狙った部品加工の下請け仕事は失敗し、10年程度で撤退に追い込まれた。「今から考えると、採算を考えたら到底できるはずがない仕事を、安値で受けてしまうことも少なくなかった。技術者目線から抜け切れていなかった」とアクアシステム社長の木村泰始は振り返る。
 そんな時に先輩経営者からアドバイスされたのが、自社商品をもっとアピールすることだった。創業から主力商品として続けていたウイングポンプ。あくまでニッチな製品と、自ら営業することはあまり意識してこなかった。ただ取扱商品を増やそうと、海外からポンプを輸入し、日本市場向けに改造して販売するビジネスを始めたところでもあり、思い切って新聞に広告を出してみた。すると直接ユーザーからニーズが寄せられ、新たな用途を発見することにもつながった。

「浄化装置に採用」
そんなタイミングで同社に転機が訪れた。1995年に発生した阪神大震災だ。震災によって一躍注目されたのが飲料水用の浄化装置。防災意識の高まりとともに、大手メーカーが相次いで参入。そこで同社の手動ポンプが採用されたのだ。これまで接点さえまったくなかった大手メーカーとも次々をと取引関係ができた。「大企業の担当者が、昔のオンボロな工場まで来てくれて商談していった。でも時々、工場をひと目見ただけで、もっと大きい会社かと思っていたと、帰ってしまうやつもいてね。悔しいから建物を直したけど」と木村は苦笑いする。

「販促強化へ」
大手メーカーとの付き合いは思わぬ副産物を生んだ。頻繁に取引先の担当者を打ち合わせるには、それなりの営業体制も必要。いつも社長が交渉に臨むような、昔ながらの体制では間に合わないからだ。そしていざ営業部隊ができると、待ちの姿勢に終始していた中小企業が、自ら新規開拓に乗り出すきっかけとなった。
防爆用途の手動ポンプのユーザーからは自動化を求められ、圧縮エアポンプの開発にも取り組むことになった。
そうするとマーケティングや販売促進への意識も高まる。01年に東京ドームで開催された展示会に初めて出展した。「それまで商品カタログも1000枚ぐらい刷って後生大事に抱え込んでいたが思い切って1万枚刷って配りまくった」。

  展示会では工場用資材商社などとも出会い、そこのカタログに掲載されるとさらに販路が広がった。小さいながらも「自社ブランドを掲げるポンプメーカー」へと着実に歩み始めることとなった。

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