News&Topics

日刊工業 不撓不屈② 9月30日掲載されました

 

日刊工業 不撓不屈② 9月30日掲載されました。

下請けで設計・加工力磨く
「過渡期の経営判断」
「次の一手」
 「私が会社に戻ってくるかどうか分からないからと、廃業してもトントンに収まるようにやっていたようだ。だから社内の状況は惨憺たるものだった」。アクアシステム社長の木村泰始は、創業者である父が経営する木村鉄工所(現アクアシステム)に入社した当時をこう振り返る。木村は大学卒業後、大手建機メーカーに就職。会社を継ぐかどうか悩んだ末に、従業員のことなども考え、1977年に入社し、後を継いだ。
 木村の父が木村鉄工所を立ち上げたのは戦後まもなくの47年。彦根の地場産業であるバルブの部品などを手がけながら、生産技術を生かしてウイングポンプという手動ポンプを自社製品として生産してきた。同ポンプはハンドルを手動で操作することで液体を圧送する仕組みで、機械設備への潤滑油の圧入や作動油の移送などを目的に利用された。
 ただ木村が入社した当時は造船不況の真っただ中。ウイングポンプの売上高も低迷し、次の一手を考えなければならないタイミングだった。

NC旋盤を導入」
そこで取り組んだのが、大手企業からの部品加工の下請け仕事だった。実はウイングポンプの生産方法は、今でこそ自動化しているものの、当時は創業時からまったく変わっていなかったという。参考にするのはポンチ絵程度。まともな図面もなかった。「若気の至りかも知れないが、せめて図面ぐらいは書けて読める職場にしたかった」(木村)と、下請け仕事を始めるにあたり新たにNC旋盤を導入し、若手の技術者を雇い入れて張り付けた。

「借入金でビル建設」
しかし下請け仕事も甘くはない。昔ながらの職人が手がけるウイングポンプが1ヶ月で1000万円程度売り上げる横で、はるかに精密さが要求される困難な下請け仕事が150万円程度しか稼げない。せっかく雇った若手も嫌気がさして辞めてしまうことも。下請けは10年程度続けたものの最後まで収益的には苦しみ続けた。ただこのことが同社の技術力を一段上に引き上げた。顧客の仕事に応じて組み立て技術や検査技術も磨き、大手メーカーから設計の専門家を招き入れ、設計チームも社内に作った。

  実はもう一つ、同社にとって大きな経営判断があった。時はバブル経済の真っただ中。売上高が1億5000万程度だった時に3億円を借金し、本社としてテナントビルを建設したのだ。家賃収入で従業員の給料がまかなえるという目算もあったが、むしろ借金を抱えたことで、家業ではなく、企業経営という意識が強まり、経営者としての腹が据わったとう。

News&Topics 一覧へ

このページの先頭へ